あおいです。
2026年も松の内をすぎ、通常の生活になりました。
「一年の計は元旦にあり」といいますが、物事は最初が肝心
一年間、いや生涯の計画を考えていますか?
私は昨年の終わりに、まさに「初めが肝心」ということを教えていただきました。
12月31日にお世話になった方のご家族の告別式に参加しました。
そこで、読み上げられた弔電の言葉が心に残りました。
故人の学生時代からの友人からの弔電でした。
空を見上げて思う 何のための人生か?
故人と学生時代に哲学書を片手に語り合ったこと、互いの考え方の違いがとても印象に残っていることなどが初めに書かれていました。
そして、故人の訃報を受け取った時
目の前に広がる空を見つめ
「私は何のために生きているんだろう?」
という、問いが湧き上がったそうです。
学生のころの人生への問いがよみがえり、
「自分は今、満足できる人生を生きているのか?」という思いがでてきたそうです。
そして、締めくくりに
「また、この人生の問いを考えてみようと思います」とありました。
弔辞を聴きながら、大事な気づきを教えてくれた…と思いました。
「死」は忌み嫌うものではなく、誰にでもやってくるもの。
肉体が無くなれば、地上生活は終わりです。
心と体がある間に私たちはなにをすればいいのだろう?
次の世界があれば、その世界で生きるために何を準備すればいいのだろう?
「私の生きる目的」「私の存在目的」は初めからわかっていないと困りますね。
物よりも愛情
「私は何のために生きているのか?」
この問いは最初の人間が誕生した時から今日までずっと続いてきた問いではないでしょうか?
多くの哲学者、宗教者などが探究してきましたが、いまでも明確な答えが教えられていません。
でも、答えを知りたいですよね?
私はきゃろさんともとこさんと一緒にその答えを研究会で学んできました。
そこで、わかった事は、長くて100年余りの人生は肉体が亡くなったあとに行く魂の世界(霊界)に行くため準備期間であるということです。
肉体がある時にやるべきことは「愛情を育てる」こと。
そのために、面倒と思うような人間関係、夫婦関係、親子関係があるということ。
たとえどんなに膨大な財産をもったとしても、一輪の花をみて愛を感じる心がなかったり、身近な人から感謝の言葉を言ってもらったりすることがなければ、「寂しい」人生です。
「愛」を感じない人生を生きた人は、死ぬ時が恐ろしくも感じます。
「愛」が大切ですが、本当に大事なことは、どういう愛情を育てるかです。
2025年の終わりに、とても大事なことに改めて気づかせていただき、良き新年の始まりとなりました。
1月17日(土)に「人間学カフェ」を開催します。
そこでは、「私は何のために生きているのか?」という疑問を、当たり前の問いとして、楽しくお話する場を設けています。
2026年の始まりに、この問いを一緒に考えてみませんか?
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