きゃろです。
昨日のロシア極東のカムチャッカ半島で起きた地震の影響で
北海道から沖縄までの太平洋沿岸部にも津波警報や、津波注意報が発令されていましたが、
本日ようやく注意報が解除になりました。それでも状況的には引き続き注意しておいたほうがよさそうです。
日本列島の太平洋側に警報や注意報が出ていた部分が蛍光色で広範囲にわたって図示されていた様子に
311の時を思い起こしていました。
2025年7月は日本で大災害が起きるのではないかといって、
たつき諒さんが見た夢を記録した漫画、「私が見た未来」に書かれていたことがやっぱり的中かと
日本国内だけでなく、周辺の国でも再び話題になっていてネットを賑わせていました。
漫画の話だけでなく、聖書歴史から今に至る歴史を探究していると
やはり今年2025年という年が重要な分岐の年にあり、時代の大転換の時を迎えていることがわかるのです。
世界各国で起きているさまざまな現象、天変地異、大雨、洪水、雹、山火事、危険な暑さと表現される高温など日常の現象からもなにかしら転換期を迎えていることを裏付けているように思います。
ヨハネによる黙示録8章~11章にかけて、七つのラッパを持っている七人の御使が順にラッパを
吹き鳴らすと災害や災いが起きることが預言されています。
それは神様からのメッセージ、警告とも言えるような内容です。
ではなぜ、このような災いがおきるのでしょうか。
私達は誰もが自分の胸に手をあてて考えてみる必要があるように思っています。
はるか昔に生きた人たちの中にも、信心深く神様と共に生きる人もあれば、
そんなことはお構いなしに悪事を働いて好き勝手していた者もあれば、
そもそも神様なんていないと神様の存在をないがしろにして生きた人もいるはずです。
はるか昔に生きていた人類をみつめていた神様と現代に生きる私達をみつめている神様は全く同一で、
神様が人間をお創りになられたという前提のもとで言えば、神様と人間の関係は、
親子の関係であり、親である神様は、どんなに時が流れても子供である人類が正しくない方向に向かえば、そっちじゃないよと気づいてほしいと願われて、何かおかしいと立ち止まるよう災害や災いのような
目に見えて、身に降りかかるほどわかりやすいことで警告されているのではないでしょうか。
2000年以上も前に書かれた聖書が今のこの時代にまで現存すること自体が奇跡としかいいようがなく、
その内容も聖書が書かれた時代に生きた人だけでなく、何千年後に生まれた現代の私達にも通ずる
今の私達の世の中がこうなることも預言され、どのように生きるべきか、私達一人一人に
どうあってほしいのか、神様からのメッセージであると解釈できます。
理由もなく、子供を辛い目にあわせる親などいないでしょう。
聖書は神様の訴えたいこと、神様の事情なるものが書いてある書物と考えると腑に落ちます。
神様の事情がわかる一握りの人物たちが、多くの人たちに訴えても、訴えてもその心には
神様の意図がなかなか通じなかった人類歴史が綴られているという側面があると思います。
天候も人が誕生するときも、そして死を迎えるタイミングも、私たちが自分の意志でコントロールすることはできませんがどのように生きていくかは自分で決めることができます。
天職とか、天命に生きるという言葉を聞いたことがあります。
たぶん神様が良しとされる心の在り方、その心の在り方が正しい限りにおいて、
心が神様と共にある人はそれこそ本当の意味で自由で天職や天命に生きているのだろうなと
身近な人たちを見ていても感じるところがあります。
何かが怖いからとか、天国に行きたいとか、ご利益や損得勘定ではなく、命の源泉である
神様や親に対し、感謝の心を持って神様から見て良しとされるよう魂を磨いていきたいと思ったのでした。
にほんブログ村






