きゃろです。
あけましておめでとうございます。
クリスマスにお正月と趣も異なる西洋と東洋の行事がいっきにやってくる年末年始は特別なことをしなくても町の雰囲気だけでも賑やさと、穏やかさが次々と感じられる季節です。
年末年始にいつも不思議に思うことは、無宗教でも、キリスト教徒でなくてもイエス様の誕生日として広まっている12月25日に当の本人(イエス様)を偲ぶでもなくツリーを飾り、ケーキやご馳走を食べます。クリスマスの後は、年末までの縁起のよい日、遅くても28日くらいまでにお正月の縁起物を飾り、年神様を迎える準備をして除夜の鐘を聞きながら年明けを迎えます。年が明ければ早朝から人込みの神社へ初詣に向かい、感謝の気持ちもそこそこに、新しい年に福がありますように、健康でありますように、志望校に合格しますように、結婚できますように、就職できますように・・などなどたくさんのお願いごとの成就のために、お賽銭を投げて祈願します。
普段、神様なんていないとか、目に見えない世界なんて信じないって人ですら、年末年始のイベントには参加している人も少なくないのではないでしょうか。
30年前ぐらい、いろいろな事実を知らなかったかつての私もこういう日本人でした。少なくとも神様や見えない世界はもともと信じていましたがクリスマスにはただただ、ケーキを食べ、元旦には神社でお願いごとをしていたので、神様の立場やイエス様の立場になって考えてみたらなんとも身勝手で、失礼千万なことをしてきたといろいろな事実を知った今はとても反省の思いになります。
さて、昨年はブログを読んでいただきましてありがとうございます。
このブログは私の個人的な思いで始めたものではなくて、私の背後で、いや、私と共にいてくださっている、
姿は見えないけれど確実にいらっしゃる神様の願いを動機としてはじめました。
私の思い込みで書いたりしているものではありませんし、書けと言われて書いているものでもありません。
なんで神様の願いがわかるの?どれだけ思い込みが強いの?と冷めた目で見る方もいるかもしれません。
見えなくても信じること、感じることはできます。
世の中には、一見すごそうな情報や、自分に都合のいい情報、耳障りのいい話にあふれていますが、その中からこの先の人生と亡くなったあとに行く世界までトータルして考えたときに、知るべきタイミングに、「本物」を知らないで生きるより、正しく知って生きるほうが賢い選択ができると思うのです。
たかだか100年ぐらいの地上人生がすべてではないということを前提に生きています。
自分がこの世に誕生するまでの過程を振り返ってみても、誰しも十月十日の母の胎内での期間を経て、どういうわけか誕生しました。
自分は今からこの世に生まれようと強い意志なんて持って生まれた人は誰もいません。
でも、意味もなく誕生するはずもなく、みんな目的をもって誕生しています。
その目的は、誰に聞けばいいのでしょうか。お父さんとお母さんに聞けばわかるのでしょうか。
物でもなんでも、目的をもって作られていますから、どういう意図があって、どんな目的かをその作成者に聞けば解決します。
人間も同じように、命を最初にくださったおおいなる存在、本当の親である神様に尋ねたらその答えは明白になります。
人間がサルから進化してきたという進化論なんて嘘っぱちだと知りました。私のおじいちゃんとおばあちゃんもその前のひいおじいさんもおばあさんも、我が家の家系図をたどってみても、全員人間で、サルだった方は一人もいません。父方と母方を調べても、サルだった人はおりません。
人間はどこまでいっても最初から人間として創造されています。
親が子供を持ちたいと考えても必ずしも子供ができるわけでもないという事実、人間の先祖をどこまでもさかのぼってみても人間は人間、動物は動物、植物は植物なのです。
すべてを創造し、命を与えているのは神様という親なのだということに行きつきます。そういう考えを前提として、ブログを書いています。
お伝えしたい「本物」をブログの中から読みっていただければ幸いに思います。
私は霊能者でもないし、見えないものが見えたりする者ではありませんし、有名な宗教や新興宗教などにも所属しておりません。
普通に仕事を持ちながら、プライベートでライフワークとして聖書を学んでいますが、どこかの宗派のクリスチャンでもないです。
しかし、神様や見えない世界を信じることや感じることはできます。妄想や幻想ではありません。
聖書から人類歴史、今日に至るまでのすべての歴史を学んでいます。私が学んでいる研究会には明確な哲学と歴史観があります。
いわゆるキリスト教を学んでいるのではなくて、「イエス」という人物の生き様、思考を研究しています。
ただ研究して知っていることに満足しているのではなくて、イエスという人物を研究することを通して、
なぜ今の世の中はこうなっているのか、遡れる一番古い原点にまで遡って原因を分析して、関心を持っている方には事実と問題の解決方法、取り組みをお伝えしています。
今の世の中のあらゆる問題は、ここ数年に起きた問題ではなくて、すべての問題には必ず原因があり、それは歴史のすべてに通じている事実があります。
病気でもなんでも問題の根本原因を知らずして、本当の治癒はできません。それと同じで問題の根本原因を知ること。
もともと悪くなる前の本来はどうあるべきだったのかを知ることによって、明確な解決策もわかります。
2000年前、聖書を最もよく理解して、聖書に隠されたすべての秘密を知りえていた人物は神の子と主張したイエス、キリストでした。
神の子として生まれたイエス様は聖書を正しく理解する能力が備わっていました、神の子ですから、神様と意思疎通ができていました。
だから聖書を読むときに、焦点を当てざるをえないのは、イエスという人物一択なのです。
神の子として生まれたのに、イエス様の生涯は、正しいこと、真実を伝えても、自分が神の子であると主張したことが罪状となって人々に誤解され、誹謗中傷の中、十字架刑によって亡くなりました。ひどい話です。
それにも関わらず、イエス様が亡くなってから、キリスト教としてイエスの教えが現代にまで広がっているこの矛盾はなんなのでしょう。
亡くなってからイエス様の言っていたことは真実だったと、本当に神の子だったということに心底、気が付いたイエス様の弟子が広めたのがキリスト教です。
イエスという人物の生涯をきちんと分析すれば彼が何を言わんとしていたのか、何をやろうとしていたのか、何を成したかったのか、なぜ彼が十字架にかからなければならなかったのか、そして後世の私たち人類に何を悟ってほしかったのか、すべてのひみつが聖書に書いてあり、イエス様の言葉の中にその奥義があります。
聖書のダニエル書や黙示録には今の現代の状況が数多く預言されていて、本当にその通りの現実になっています。
聖書は日本と関係ないと思っているなら、その認識は間違いです。おおいに関係があります。
都合よく、イエス様は人類のすべての罪を背負って十字架にかかってくださった、だからイエス様を信仰すれば救われると思っている方が多い世の中です。罪もない人を十字架にかけておいて、本当に失礼千万な話だと思います。
イエス様が十字架にかかって亡くなっても、この世は戦争や犯罪がなくなるどころか、残虐さを増している状態です。
イエス様だけが「神の子」として生まれ、33歳で亡くなるまでの道のりを聖書から読み取っていくと、
イエス様だって十字架以外の道があって、結婚して、神様の願いどおりの家庭を築いて、世の中にのべ伝えて、
地上を天国のようにしていく役割があり、世界は繁栄し続けるはずでした。
当時のイエス様を取り巻く人々、当時の愚かな人類はイエス様の本当の価値に気がつかず、奇跡を見せても、何を語っても、本物であることに気が付かず、「本質」を見極めることができなかったから、人類を正しい道に導く役割を持ったイエス様を絶対に殺してはいけなかったのに、「神の子」だと主張したという罪状で十字架というもっとも残酷な殺し方で死に至らしめてきたのが私たち人類の祖先です。イエス様が亡くなって2000年の時を経て、この現代になって世界情勢を見ると聖書の預言が次々と成就しています。
本来、人間はみんな神様と交流ができる存在として創造されていますが、過ちによって神様と交流できる回路が断絶された状態になっています。
神様とか見えない世界を信じられない方の多くは、自分でその交流や関係を切って生きているというのが現状です。
今、2000年前と同じ現象が起きています。歴史は繰り返しています。
大変な世の中になっていますが、千載一遇のチャンスの到来であると明確に言えます。
2000年前と同じ轍を踏まない人類でありたいと思います。この世だけで終わりではなく、人は誰もが死を迎え、みんな霊界へ行くのです。
自分の人生をトータルで考えたとき、賢い選択があると思います。
親である神様は誰も不幸になってほしくないと願っているのです。
命をいただいていることに感謝して、見えていない事実があること、地上での人生があるうちに本当のことを知ってほしいと願います。
学校では決して教えてくれない歴史の事実とすべての問題の解決方法があります。ぜひ探究してみてはいかがでしょうか。
そんなことあるの?って思う方、ぜひ一度自分の目で確かめて、それから判断してみてほしいと思います。
関心ある方、ご連絡をお待ちしています。
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