『私の存在目的』

この広大な宇宙空間の片隅に地球があり、その地球上に80億以上の人間が住んでいます。
人間は誰しも私はなぜ誕生し、人生の目的は何だろうかと考えます。


人生で何をすることが、最も立派な価値となるのだろうと考えます。
しかし人間がいくら考えても、自分の誕生の目的、自分の存在目的を知ることはできません。
今生まれるぞと決意して生まれてきた人は、この世にただの一人もいません。


母の胎内で人生の起点が定められた時、赤ちゃん自身には何の決意もビジョンもありませんでした。
どういうわけか頭脳が準備され、五感が準備され手足が準備されました。
そのための決意など定めようもありませんでした。

人間の存在目的は人間自体で決定できません。
自分が動機となって、自分が生まれてくるようにはなっていません。

もし人生に目的があるなら、その目的は生まれる前から定められていなければなりません。

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目的先行の法則

少年時代に大統領になると決意して、あらゆる努力の結果、見事に大統領になったとしましょう。

その時、その回顧録には少年時代にどのように決意したかが滔々と語られ、多くの人から、大いなる尊敬を得ることができます。

その場合、少年時代に決意を固めたのはどこまでも本人でした。本人が決意して、本人が将来のビジョンを定めて不屈の信念で、その目的を達成したことが明白です。

ある結果を生み出す動機も当の本人が担当しています。動機や目的も本人によるものであり、最終結果も本人に属しています。

これなら本人だけで全てが解決します。しかし、人生の目的となると話が異なります。

生まれる目的は決して自分で設定することができません。

体内で目が構成される時、目が出来上がった後に目の目的が定まることなどありません。
目が目となる必然性、目の目的は目という存在以前に定まっていなければなりません。

目や耳や全ての器官が準備される目的は、器官そのものより先行して存在しているはずです。

さて、目の目的を定める存在があるとすれば、その存在は、胎児が体内で形作られる時、すでに誕生後の世界がどうなっているかを明確に把握できていなければなりません。

目は見えなければなりませんが、見えるようにするために必要な前提として、地上世界はどうなっているかが、前もって理解されていなければなりません。

空気の中で、太陽の光を受けて、その反射光で認識することが必要となる、という事実を知らなければ目の設計は不可能です。

科学的現象および哲学的現象とトライアングル

カレーライスが創造されたとして、2つの疑問が生じます。

このカレーライスは、どのようにしてできたのか、という作り方に対する疑問です。

一般的にHOWの疑問です。ノウハウと呼ばれます。これは科学的分析で解決が可能です。

どのような材料をどのように組み合わせ、調合すれば良いかを説明するものです。

もう1つの疑問があります。
それはどういう目的で、このカレーライスが作られたのかという疑問です。

お客さんの注文により調理したとか、友達へプレゼントするために作ったとか、材料の構成に対する疑問ではなく、存在する理由、つまり存在そのものの存在目的に関する疑問です。

お店にお客さんが到着した時、「どうやって来られましたか?」という質問は「電車で」とか「歩いてきた」とか、HOWに対する疑問です。

「どのような目的で来られましたか?」その理由を求める質問は、WHYの質問です。

宇宙の全ての存在に対して、この2つの質問が適用されます。

なぜ存在するのか、というWHYの質問と、どのようにしてできたのかを問うHOWの質問です。


科学者はHOWで質問します。どのようにして宇宙はできたのかを追究します。これは、そもそもの材料を追究するものであり、プロセスの追求であり、手段の追求です。

なぜ、宇宙が存在するようになったのか、というWHYの質問は、HOWとは異なる哲学的質問です。


カレーライスをどういう目的で作るのか、つまりWHYの質問は存在の根本的質問であり、全てのプロセス、HOWより先さきだって設定されます。

つまり、いかなる創造においてもWHYは最初に設定されます。
そのWHYは変化することなく、水平移動しながら全てのHOWを方向付けます。

全てのHOWは最終的にWHYと一致して完了します。

HOWはまずゼロ位置を原点として、HOW50、HOW80、HOW99と徐々にWHYに近づいていきます。

目的通りに結果が一致すれば、創造は終わります。HOWの変化は、WHYと一致して完了します。
全てのHOWはWHYを目的としています。

親子の絆はWHYで説明され、知恵や技術はHOWで説明されます。

人類は長き歴史を紡いできました。人間から人間への生命の連鎖は、親と子のつながりとして私たちは常に目撃することができます。

親から子供が生まれて生命の連鎖が行われる事実を、現実において確認することができます。

無価値な存在である という結論に耐えられない

私の存在意義と価値

人生の 三段階

動画はこちらの記事からご覧ください。

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