平和祈念像

おはようございます。今日は「長崎原爆の日」です。

1945年8月9日11時2分に長崎に原子爆弾が投下されました。

当時の長崎市の推定人口24万人のうち約7万4千人の市民が死亡し、建物は約36%が全焼または全半壊しました。

6日の投稿で広島の原爆慰霊碑の文章に疑問を呈した、パール判事の言葉を紹介しました。

そのパール判事が、「過ちは…」に代わる碑文を書いていました。

昭和27年11月に平和公園を訪れたパール判事の通訳をしてたナイル氏とかねてから親交があった本照寺の25代住職、筧義章氏(平成4年に87歳で死去)が広島滞在中のパール判事に、「過ちは-」に代わる碑文を書いてほしいと懇請したそうです。

パール判事は一晩考え、ベンガル語で揮毫(きごう)。それは日本語にも訳され、境内の「大亜細亜悲願之碑」に刻まれています。

それでは、その内容をご紹介します。

「激動し変轉(へんてん)する歴史の流れの中に 道一筋につらなる幾多の人達が万斛(ばんこく)の思を抱いて死んでいつた しかし大地深く打ちこまれた悲願は消えない 抑壓(よくあつ)されたアジアの解放のため その嚴粛なる誓にいのち捧げた魂の上に幸あれ ああ眞理よ あなたは我が心の中に在る その啓示に從つて我は進む」

パール判事が広島を訪問し、碑文を書いたのは昭和27年4月に米国による日本の占領が終わってわずか半年後のこと。現住職の筧義就さんは「当時の日本人が言いたくても言えなかったことをパールさんが代弁してくれた」と考えているそうです。

また、パール判事は「戦争」について次のような言葉も残されています。

「これまた日本の責任ではない。その戦争の種は、西欧諸国が東洋侵略のために蒔(ま)いたものであることも明瞭だ」

戦後80年。真実の歴史は何か。多くの命の犠牲の上で、今を生きる私たちが考えることですね。

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