きゃろです。
私は27歳の時に7年間お付き合いしていた最愛の婚約者をガンで亡くしました。
まだ26歳だった彼は病気なんて無縁の人でしたが体調不良からガンが発覚して
気づいたときには末期、治療の甲斐もなくわずか半年ほどでこの世を去りました。
この出来事は私の死生観を大きく変え、また死後の世界、霊界が存在することをはっきりと悟ることになりました。もともと神様とか、目には見えない世界を信じているほうでしたが、目には見えない、霊界という世界について悟らざるを得なかったというのが正しい表現かもしれません。
自分が行ったこともない、見たこともない世界をどう信じるの?と思う人もいるでしょう。
しかし、このサイトのタイトル「私の存在目的」を考えるとき、私と言う存在は両親が
私と言う存在を生み出そうとして容姿や性格や誕生日はこの日だ!と決めて、
私を生み出したわけではありません。
受精卵から始まった私という存在を誕生させようと決めた大いなる存在があると考えるほうがしっくりきます。
人間の血管、あらゆる器官、髪の毛の1本1本まで精密部品のように設計され、これから生まれ出る
地上のことをすべて知り尽くしたかのように、人間として生活していくための体のすべての準備が整ったら
誕生します。そう考えると自分の存在ほど神秘的なものはないと思います。
この仕組みを誰が創ったでしょうか。やはり大いなる存在、創造主、神様。。どのように
呼ぶかはさておき、必ずそのような大いなる存在によって私たちは生まれてきたと言えます。
27歳の時の出来事に話を戻します。結婚を目前にして愛する人を目の前で亡くすというショッキングな出来事でした。七転八倒するようなどうにもならない喪失感、深い悲しみ、何をしても楽しくも嬉しくもない。
通勤電車で寝たふりをして下を向いて泣いていました。あの時の私はどうやってそういう悲しみから立ち直ったのかなと振り返ってみると、周りの人の励まし、支え、沖縄のユタさん(霊能者)に頼んで供養してもらったり、不思議な体験など、ありとあらゆることでなんとか自分を奮い立たようとしました。
最も私自身を納得させたことは「彼の命だって神様から与えられた命なんだ。神様が彼の地上生活はもう終わり。天に引き上げる!って決めたのだから、神様には何一つ文句なんて言えない。人の生死だけは自分でコントロールすることはできない。命は神様から授かったものなのだ。彼の魂は霊界に移動しただけ」と霊界を意識すること、生死は自分ではどうにもコントロールすることはできないという抗えない事実、やはり神様という存在、霊界という次の場所があると考えることで、人は死んだら終わりじゃないという事実が当時の私を強くしてくれました。
そしてその考えは今、しっかりと学んだことで点と点が線となって繋がったように確信となりました。
人生は三段階ということを学びました。母の胎内、地上生活、そして霊界があるということです。
母の胎内にいるときはお母さんと結びついていた胎盤からへその緒を通して栄養をもらって成長しますが、地上に誕生すれば、地上生活では誕生と同時に不要となるへその緒は切り取られ、胎盤は母の胎内から排出されます。地上ではだいたい100年前後の生活を経て、人は必ず死を迎えます。その時、どんな人でも肉体は滅びますね。日本なら火葬され、お骨になりますが魂は霊界へ旅立ちます。
母の胎内は地上へ出るための準備期間だと言うことができます。そうであれば地上は霊界へ行くための準備期間と言えます。次の世界へ行く時、人は必ず繋がっていた何かを脱ぎ捨て、まるで、蛹が脱皮して蝶になっていくように、人は死を迎えたとき、肉体を脱ぎ捨て魂は霊界という世界へ移動します。
私達の一般常識からすればもちろん愛する人の死はとてつもなく悲しいことでそれを不幸だと言うのかも
しれませんが生まれてきた瞬間から、私たちはどんな人でも、いつか死ぬことが決まっていますから、死で人生のすべてが終わりで、悲しみが終着駅だとしたら、地上への誕生をおめでとうと言うのは、なにか矛盾する気がします。
私達はこの世に生を受けてから、次の世界に向けて、魂を成長させるためにこの世では学びがたくさんあります。
霊界は魂の成長度合いに応じて行く場所が様々だと言うことを知りました。
私のこの先を決めるのは自分自身だということです。
この世に存在している誰もが「自分の存在目的」を知り、いつか霊界へ旅立ちます。
霊界の人から見たら、霊界へようこそ、霊界での誕生おめでとうって言うのかもしれません。
私を創造してくださった大いなる存在や、そして愛してやまなかったあの人にも堂々とまた会えるその日まで魂を磨いていきます。私たちの存在(魂)は永遠なのですから。
そういうお話を含めて、皆それぞれの存在目的や使命について、皆でお話しませんか。






