本物の富とは

きゃろです。

私は美味しい食べ物や面白いことをみつけたら、友達にも共有したくなります。

どこかから美味しいおやつをたくさんいただいた時、一人で全部食べるのもよしだけど

友達にわけてみんなで美味しさを共有したい。いい話を聞いたら教えてあげたいと思う。

決してお金持ちではないけど、割と気前よく振る舞うほうなのだと思います。

そんな私もここぞという時には、なぜか人からごちそうになることもあれば、贈り物をいただくこともあります。

何かが作用して、循環している気がします。
Aさんにおやつをあげたから、お返しにAさんからおやつをいただく、そういう類のことではなくAさんとはまるっきり関わりのない別の人から私が差し出したおやつよりも何倍もりっぱなおやつをいただく、そういうことが起きます。

お金に関してもこの不思議な循環が何度も起きていることに気がつき、この不思議な流れは何だろうかと分析をしてみました。

例えば誰かのためにお金を使う、お祝いを送るとか、学校に寄付をする等々

これらの行為はみんな私の真心から出たもので決して見返りを求めるものではありません。

こうして誰かのために、真心を込めて出したお金は、そんなに時間がたたないうちに、

私が出した金額と同等か、それ以上の額となって私に舞い戻ってくることが多々あります。

戻ってくる保証はどこにもありませんし、戻ってくることを想定したこともありません。

このタイミングにお金が入ると助かるなあという時とか、ここぞという時に出した以上のお金が入ってきます。

偶然のレベルではないぐらいの回数でこの現象が起きます。

やっぱり、神様は見ているんだなあって実感しています。この絶妙なタイミングの采配、神業ってこういうことだと

日常の小さなレベルですらそう感じるほどです。

神様は、私がどのタイミングに、何を必要としているのか、すべてご存じだということです。

私の我欲が先にあれば、このような現象は決して起きないことは明白です。

自分の生活にかかる最低限のお金を使うことのほかに、正しいお金の使い方が間違いなくあるのだと確信しています。

みんなそれぞれに経済力は違います。その人ができる最大の真心を尽くして、利他の精神を持って活動している場所など、

出すべきところに、正しいことのためにお金を使うことなのだと思っています。

聖書にはお金にまつわるたとえ話がたくさんあります。

マタイ19:23~24

それからイエスは弟子たちに言われた、「よく聞きなさい。富んでいる者が天国にはいるのは、むずかしいものである。

また、あなたがたに言うが、富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」

マタイ6:19~21

あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に、宝をたくわえてはならない。

むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい。

あなたの宝のある所には、心もあるからである。

世の中はとんでもない速さで変わってきています。そして心の時代になってきました。

大事なことを悟れるようになっていきたいと思います。

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