きゃろです。
日本では6月の第3日曜日は父の日ですね。父の日はアメリカが発祥なのだそうです。
世界の多くの国でも父の日が設けられていて、日付やお祝いのしかたは違うようですが、
お祝いの趣旨は父親へ感謝を伝える日であることは共通しています。
ふと考えてみました。どんな人であっても、生まれたときの環境や境遇が異なっても、
一人の例外もなく、私たちは1人の男性と1人の女性(父と母)から生まれてきました。
その両親もまた、1人の男性と1人の女性から生まれてきました。
あなたも私も世の中の人もみんな、いかに世代を遡ってもその構造は変わりません。
調べて、調べて、系図を遡ればある程度のところまで知ることができます。
すでに家系図を作成しているご家庭もありますね。
私の家も亡き祖父が家系図を作ってくれました。遡れば遡るほどロマンを感じます。
1人の男女(父母)を遡れば、いったいどこに繋がっているのだろうか、そう考えたことがあります。
そしてみんな、どういうわけか自分を産み育ててくれた男性をお父さんとか、パパとか、呼び名はともかく「父」という存在として敬っていると思います。
それは洋の東西を問わず同じなのだと思います。
遡れるところはないかと、人類最古のベストセラーである聖書を見てみると、イエスキリストは天におられる神様のことを「父」と呼んでいる箇所がたくさん見受けられます。
え!父なんだ!っていう驚きがあります。誰もが誕生した出発点には父と母になる男女がいることだけは抗えない事実です。
それにも関わらず、イエスキリストはなぜ、天の神様のことを父と呼んだのでしょうか。
聖書の中には父と子という記載があります。
よーく読んでいくと神様が父で、イエスキリストは子の立場であることが理解できます。
親子の関係性があったのだろうと想像できます。
お父さん、この言葉一つをとってもその存在を考えるとき、遡って、遡ってどこまで繋がっているのだろうかと神秘すら感じます。
自分の存在を考える時、父の存在を思わずにはおれません。
私からみて、父にも祖父がいて、その繋がりは果てしないですね。
人は皆、母の胎内で十月十日の期間を経て、地上に誕生しますが、父と母が子を誕生させるにあたって、子供の容姿をこうしようとか、
性格をこうしようとその設計を考えて、誕生させたはずもないという事実を考えると、そこにはやはりその根本の設計を考えた大いなる存在があるように思います。
そう考えるとイエスキリストが父と呼んだ神様にも繋がっているように思えます。
昨今の世界情勢、日本の状況をみていると、時代は大転換期を迎えていることが如実に感じられます。
それでも、変わらない何か確かなものがあるように感じています。それが脈々と続く、親子という関係性と親の愛なんじゃないかなと私は感じています。
ちょうど明日6月15日は父の日、父と言う存在を想うとき、私の肉親である父親にも、
そして、神様が天の父だと考えれば、父なる神様にも感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。
せわしない毎日、ほんの一瞬でも、自分の原点に思いを馳せ、その対象に直接、あるいは心の中だけでも感謝の気持ちを表してみませんか。






