きゃろです。
生きていれば、楽しいことばかりじゃなく、時に耐えがたいこと、辛いことに直面することがあります。
出口が見えず、このままずっと同じ状態が続いていくような、そんな思いに頭がいっぱいになることもあるでしょう。
辛いことの種類は人それぞれでしょう。
私も私にとってつらいことが、これまでも、たくさんありました。
早くこの辛い状況から脱出したい、明日目が覚めたら、この状況ががらっと変わったらと何度思ったことでしょう。
誰も自分の辛さを代わりに引き受けてはくれない。さてどうするか。
ある時、こんな毎日の中でも、1日の中で良かったことを探し出して、書き出してみようと思いました。
良かった探しをしてみようと考えていました。
今日も生きていた。今日も歩くことができた、今日もご飯を食べることができた、あまり話さない友達が急に話しかけてくれた。
電車で座れた、渡ろうとしていた横断歩道の信号が全部青でタイミングがよかった。
今日は料理をおいしく作れた。お店で素敵な服をみつけた。今日は仕事がスムーズだった。今日も良いお天気だった。ぐっすり眠れた。
ご飯がおいしかった。怪我一つなく、痛いところもなく、今日も無事に過ごすことができた。
こうしてみると小さなことだけど、よかった。と思えることに溢れていることに気が付き、全部感謝なことだと思えるのでした。
どんな状況もなにか意味があって起きている、与えられた環境や状況に感謝しよう。そう考えると、やっぱり自分は恵まれていると思えるのでした。
最悪な状況、許しがたいこと、自分の心を揺さぶってくる出来事に一喜一憂していることが馬鹿らしく思えたのでした。
そういう状況のときでも、最悪なことだと思うこの状況は、自分に何を教えているのかな。そのように考えるようになりました。
そうすると不思議と3日ぐらいたった頃、状況が良い方向に変化してきたことが何度もありました。
いやなことがあると、頭がそのことでいっぱいになり、いやなのに繰り返し、繰り返し、そのことがよぎってしまうこともあるでしょう。
そんな毎日の中にも数えてみると、有難いと思えることに溢れていることに気が付きます。
何十年か経ってから、ある方から、「最悪感謝」という考え方を教えてもらいました。
耐えがたい、理不尽な状況に遭遇したときも、不平不満を言わずに感謝するということでした。
そうして超えた先に、大どんでん返し、とんでもないうれしいことに転じてくるよというものでした。
私が感じて、経験していたこととほぼ同じでした。
このようにとらえ方を変えたとき、自分の心が強くなった感じがしました。何か一段階、成長していることを感じました。
いつのまにか、辛いことは思いもよらないことで終わりを告げ、がらっと良い方向に転じていきました。
生きていると、そういうことの繰り返しかもしれません。それでも対処方法がわかることは有難いことです。
少なくともずっと悩む必要はなくなります。今すぐ、その状況は変わらないかもしれないけど、捉え方ひとつで、目には見えなくても実は状況は変化しはじめているとわかりました。
思い起こせば、愚痴を言うこと、不平不満を言うこと、愚痴や不平不満が多い友達と話しているとき、不満を言っている自分、それらを思い出してみるとやっぱり空気が悪いし、言ったあとの後味は、言ってすっきりするよりは、どちらかというと後味が悪いことのほうが多いもの。
我慢大会ではなく、捉え方次第で、嫌なことは、ただの嫌なことでなくなって、実は宝の原石なのだと思いました。
辛いことの渦中にあれば、そんな綺麗ごとって思っちゃうかもしれません。毒でも吐いたほうが気楽だというかたもいるでしょう。
その不満を不平を一回、言わなかったら、ご褒美スタンプが一つたまります。そんなふうに考えてみると本当にご褒美がやってきます。
自分が悪くて起きたであろう、しっぺ返しがきたとわかっている時は素直に反省あるのみです。
そうじゃない本当に理不尽な出来事は飛躍のチャンスだと、宝に変えることができる絶好のチャンスだということを教えてもらいました。
何か困難にあったとき、持ってないこと、できないことを嘆くより、できていること、持っていること、恵まれていることを思い出して、そのようになんでも感謝のポイントがないかと考えを変換して自分の心や捉え方で実験をしてみることをお勧めします。
気休めだと思う方、ぜひご自身の捉え方の変化によってどのように状況が変わっていくのか体験してみることをお勧めします。考え方、捉え方を変えることに誰の許可もお金もかかりません。
そんな素直さが状況を変えていくのかもしれません。

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