薄いピンク、濃いピンク、様々な色合いのピンク色のガーベラの花が敷き詰められた写真です

きゃろです。皆さんは目には見えない存在やものを信じますか?

私がまだ大学生だった21歳の春、
飲酒運転の大型バイクが歩行中の私に突っ込んでくるという大きな交通事故に巻き込まれました。
衝撃から意識を失ったまま、線路の中に跳ね飛ばされ間一髪、電車が来る前に引きずりだしてもらえたので、電車にひかれるという2次災害は免れることができました。
九死に一生を得るような出来事でしたが、今もこうして命があり、生かされていることを神様に
心から感謝の思いです。

猛スピードのバイクが歩行中の私に突っ込んできた結果、左の大腿骨が外れ、骨盤骨折という
大怪我により長期入院を余儀なくされました。
救急搬送後、もれなく入院、骨の位置を元に戻すための手術を受けました。
大腿骨にボルトを入れ滑車につるされた錘で牽引するという根気のいる治療が待っていました。
40日間、寝返りを打つことが許されず、仰向けのままベッドに張り付けられるように固定されていました。
もちろんトイレもいけませんのでカテーテルを使わざるをえない状況でした。
骨が安定した頃、お医者様からカテーテルは外してもよいとの許可があり、体から一つ管を外すことが
できましたが、管を取り外しても体はただちに元には戻らず、水を飲めばお腹が膨れるのにトイレに行きたい感覚が全くわからなくなっていました。

そういう状況の中、当時お付き合いしていた婚約者は、寝たきりになった私を
毎日のようにお見舞いに来てくれていました。
その日も水やジュースを飲みながらお話していましたが、どんなに水分をとってもお腹は膨れて
くるのに尿意を感じないと不思議に思いながら話に夢中になっていたら、
いつのまにかベッドやシーツが濡れてきて、それが広範囲に広がっていることに気づきました。
あろうことか、いつのまにか漏らしていたのです。
尿意を感じないとはこういうことなんだ!という驚きとこの年になって漏らすんだということに
ショックを隠せませんでした。
濡れた身の周りの不快感に早くなんとかしなきゃと思っても、ベッドから足を下して
自分で歩くことも何も1人ではできない私は、看護師さんと母に介護をしてもらっていたのですが
その時に限って、母は外出、看護師さんたちも忙しそうにしていました。
どうしよう・・と思っていたら、婚約者が自分がやるよと言って、
さっと濡れた身の周りものを片付けたり、拭いてくれました。
そういう時、看護師さんたちなら手袋をつけて片付けたり、処理をするでしょうが、
素手でさっと片付けていく彼の姿にものすごい衝撃を受けました。
お付き合いしているとは言え、人によっては汚いと思って敬遠するであろう下の世話を率先してやってくれた様子にこんなことまでしてくれる愛の深さに感激したのと、この事故がなければ私はきっと
このような人の深い愛情にも気が付くことはなかっただろうとガツンと心に響き、
その夜、反省の思いに布団を被って泣いたのを今でもはっきり覚えています。

それから6年後、その彼は病に倒れ、この世を去りましたが、何十年も経ってから本腰をいれて
聖書歴史、人類歴史を学び、私たち人間を創ってくださったのは神様という存在であることや、
神様と人間の関係性や私の存在目的を学ぶことに繋がっていきました。
その学びの中で、尊敬する先生から、「愛」についてこのように教わりました。
「汚いものをも汚いと感じなくさせるのが愛なのです。」と。
あのときの彼の行動は、そういうことなんだなとはっきりと理解できました。

愛には親子の愛、夫婦の愛と種類があると思いますが、いずれにしても愛の力には人の心をつかみ、
何かを生み出し、あらゆるものを凌駕する凄まじい力があることがわかります。
例えば、親は赤ちゃんのおむつをかえたり、あらゆるお世話をします。
子供のおむつを替える、それすら愛おしく思ってお世話をしているでしょう。
自分を犠牲にしても子供には何でも与えたいというのが親の愛です。
汚いものを汚いと感じることなく、お世話をしたり、
何かを与えたい、喜ばせてあげたい、そういう思いが愛の特性であると学びました。
愛という目には見えない「情」は、こうして感じることができます。

なぜ人間には愛という情があるのだろうかと思っていました。
愛に形があるわけでもなく、目には見えないのに人はなぜ愛を感じることができるのでしょうか。
前提として、神様とは愛の存在だということを知りました。人間は神様が創造されたと学びました。
その前提で言うと、神様と人間は親子の関係だと言えます。単なる創造主と被造物の関係ではありません。
人間が単なるロボットのような存在でいいのなら、
私たちに自分で考える能力や「責任」を与えたりはしないでしょう。
親の性質が愛情を持つ存在なら、その子供である私達人間もまた同じように
愛情という性質を受け継いでいると言えます。

目には見えないけれど存在しているものが確実にあります。
親の親の親の、そのまた親と人類の最初までたどれば、行きつく先はやっぱり宇宙の意志というのか、
神様という「意志と目的」をもった目には見えない存在が確実におられ、
愛のお方であり、「絶対者、完全者、創造者、無限者、永遠者」という特性を持っておられると
教わりました。なんだか神様という存在が立体感を持って感じられます。
宗教や教えとかそういう枠組みを越えた根源の存在を探究しています。

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